2012年04月25日

山口県萩市議9人 石巻市内がれき処理で視察

こんな記事を見つけました。
視察だけならともかくも、瓦礫受入を前向に検討するという
口約束までしてきたのでしょうか?

萩市民に相談しましたか?
萩市としての申し入れとして言ってきたのですか?
議会にかけたのですか?
瓦礫受け入れの問題点を把握していますか?
受け入れたら影響は萩市だけでは済まないことを知っていますか?

その場のノリで軽い口約束をしたのなら、
おおごとにならないうちに撤回してくださいね。





山口県萩市議9人 石巻市内がれき処理で視察
http://chiyukihirosi.air-nifty.com/blog/2012/04/post-10d2.html
復興支援 石巻前網浜ブログより。


14日「石巻かほく」地元紙が報道しています。
萩市議会議長はじめ9人の市議会議員が石巻市の「がれき」の状況を視察、
受入を前向に検討してくれるそうです。
「がれき処理なしで復興はないのです」 
萩市民の皆さんよろしくお願いします。


[石巻市の瓦礫は岩手県の総量より多いといわれています。]

前網定置網部(生産組合)が定置網に使う漁船「JF第一オリエント丸」は、9月の進水にむけ、萩市上領造船所で建造されます。三陸沿岸の造船所は震災で甚大な被害を受け、一部復旧した造船所もありますが、とても需要を満たすことが出来なく、石巻前網定置網部では萩市の上領造船所に建造をお願いしています。これも何かのご縁ですね。

3月の上旬定置網部のメンバーは萩市の造船所にお伺いしましたよ。
その時、阿武町奈古の定置網も見学させて頂きました。

[川村孫兵衛の菩提寺・普誓寺も大きな被害を受けました。]

石巻市の恩人川村孫兵衛も萩市出身です。(長州阿武)
当時の阿武郡のほとんどは現在は萩市だそうです。
孫兵衛は天正時代の人(伊達政宗の時代)で治山治水にすぐれた技術を持っており、また天文の知識、測量なども出来るすぐれた人物でした。
石巻を流れる北上川の改修工事を行いました。北上川の水流を安定させ、新たな水田を作ることが出来るようにしました。また、南部藩、一関藩との水上交通が可能になり、米やその他の物資の運搬ができるようになりました。さらには、北上川河口から江戸へ、米を千石船によって運ぶことが出来るようになりました。

私の応援する[あさみちゆき]も山口県出身ですよ。

石巻前網浜で復興を目指し、定置網とホヤ養殖でガンバル生産組合の皆さんにご支援お願いします。

振込先は下記のとおりです。

前網定置網部
○ゆうちょ銀行
 ・振替口座 記号番号
  02220−6−×××××
○宮城県漁業協同組合  コード    ×××××
 ・支店コード       (本所) ××   
 ・口座番号        (普通) ×× 

===============ブログより転載ここまで===========

川村孫兵衛重吉は北上川を改修し、石巻発展の基礎を築いた人物で
山口県萩市出身。
石巻では恩人と言われている。

その恩人の故郷に瓦礫を受け入れて欲しいという
このブログ記事、
なんかおかしくないですか?

人と人の繋がりは尊いと思いますが、
情だけではなく、冷静に客観的に瓦礫を山口県萩市で処理すべきなのか
そのことで問題が起きないのか考えて欲しいと思います。

「がれき処理なしで復興はないのです」ということが本当だとして、
どうして山口県萩市に運ばなくてはいけないのか
よく考えてもらいたいです。

恩人の故郷を汚染するようなことになったら、
申し訳ないと思いませんか?


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三陸河北新報社(2011/7/20)

孫兵衛の墓、神社壊滅

北上川改修、石巻の基礎築く 地元住民ら川開き前に清掃活動 市、商議所の修復に期待

北上川を改修し、石巻発展の基礎を築いた川村孫兵衛重吉(1575〜1648年)の墓と、孫兵衛を祭った重吉神社(石巻市新舘)が、東日本大震災で壊滅したことが分かった。指定文化財になっておらず、石巻市としては手の施しようがないというのが現状だ。孫兵衛の功績をたたえ、感謝する石巻川開き祭りを前に、地元釜地区の住民たちは先日、ボランティアの協力を得て、がれきなどを撤去。あらためて川開きの原点を見つめた。
川開き祭りでは毎年、初日に墓前で供養祭を行うのが習わし。その出発点となる孫兵衛の墓は津波でなぎ倒され、近くの重吉神社も跡形もなくなった。由来碑がかすかに残っているものの、周囲はがれきや泥などが散乱し、面影すらとどめていない。
祭り実行委の対応が見えなかったことから、上釜地区の住民が「祭りまでには少しでもきれいにしよう」と、ボランティア団体のピースボートの協力で、墓や神社一帯で清掃作業を行った。
孫兵衛の子孫に当たる川村潤一さん(58)、重吉神社責任総代の鈴木喜美男さん(68)、上釜地区町内会長の佐藤孝さん(69)も参加した。
佐藤さんは「孫兵衛は石巻の恩人であり、地元の誇り。神社や墓は地域のよりどころだった。祭り前に何らかの対応をしてほしかった」、鈴木さんは「時間は掛かるだろうが、市、商工会議所が一緒になって修復に尽力してほしい」と語る。
祭り実行委祭典部事務局の石巻商工会議所総務課は「現状は認識している。ただ、墓や神社は個人所有」と説明した上で「子孫や氏子ら関係者と今後の対応を検討したい」と話している。
川開き祭りでは、供養祭のほか、水上行事の孫兵衛競漕(きょうそう)、孫兵衛が測量に使った縄を奉納したとされる縄稲荷(いなり)神社奉納大縄引き大会など、孫兵衛に関するイベントが数多く実施されてきた経緯がある。
今年は墓前で供養祭ができないため、孫兵衛の菩提(ぼだい)寺である普誓寺で供養祭を行うことにしている。
川村孫兵衛は1575(天正3)年、山口県生まれ。20代前半に伊達政宗の家臣になり、政宗の命を受けて北上川改修の責任者として優れた技術を発揮した。工事完成後、74歳で亡くなった。
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また、こんな記事も発見!=
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福島:会津若松 【震災支援の山口:萩市を市長が訪問…明治維新の天敵同士】
Posted Date: 2011, 7/19, 1:57
〜雨って地固まる…とは行かずとも〜

福島県会津若松市の菅家一郎市長が18日、山口県萩市を訪問する。両市は、明治維新をめぐる戊辰戦争で会津藩、長州藩として激しく戦かった間柄。「賊軍」 の汚名を着せられ辛酸をなめた会津の市民感情には今も長州へのわだかまりが残るとされる。訪問は東日本大震災で萩市から会津若松市へ送られた義援金と救援 物資へのお礼が目的。震災支援をきっかけに「和解」表明かと思いきや、菅家市長は「和解とか仲直りという話ではない」と釘をさしている。

震災後、会津若松市には福島第1原発が立地する福島県大熊町が役場機能を移すなどで、同町の住民3300人をはじめ約4500人が避難。一方で原発事故による風評被害で、主要産業の観光や農業が大打撃を受けている。

この苦境に、かつての仇敵、萩市から「東北には友好都市、姉妹都市はない。歴史的なつながりがある会津をお見舞いしたい」と、これまでに義援金2350 万円、飲料、食品、下着、学用品など救援物資が14トントラック1台分送られた。また、萩市の農協が会津産の農産物を販売するなど、風評被害の払拭に一役 かっている。

菅家市長の訪問は、一連の支援へのお礼で、被災者対応、風評被害対策について講演会で説明し、農作物、観光地の安全性をアピールする。菅家市長は「これだけの支援をいただき、お礼にいかない方がおかしい。戊辰戦争の和解とか、仲直りとか、そういう話ではない」としている。萩市側も「被災者対応などを話してもらい、今後、震災対応の参考にしたい」(企画部)と、あえて「和解」などは持ち出さない考えだ。

過去に会津若松市は萩市からの友好都市提携申し入れを拒絶した経緯がある。平成9年6月、会津に残る長州への怨念を描いた市民劇が萩市で上演されたのを きっかけに、当時の会津若松市長が戊辰戦争後初めて萩市を訪問。両市の市長同士が握手を交わしたが、「和解」への慎重姿勢は崩さなかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110717-00000517-san-soci
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萩市は瓦礫は受け入れなくても、たくさん支援しています。
これからも引き続き萩市にできる支援を続けるのが一番いいのではないかと思います。
posted by ぱわふる at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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